
4月と言えば「桜」の季節のはずですが、今年は全国的に早めに終わってしまいそうですね…
とはいえ会社近くの神社の桜は、なぜかいつも遅いんです。
上の写真は先週 3/22の朝。
2分咲きもいってない位でしょうか、まだ固く閉じた蕾の方が多いです。
ようやく咲き出したって感じですね。
ほぼ毎年、この桜の下で会社のみんなと花見をしていましたが…
去年に続いて今年もできませんでした。
まぁこんな時期だから仕方ないですね。
来年はできるといいなぁ。。。

先週末の同じ場所です。
満開までもう一歩という感じ…
実は私は記憶力が極端に弱い方です。
仕事では3年前に1回だけやった仕事…なんてのも克明に覚えていることが多いですが、プライベート、特に子供の頃の記憶はかなり薄い方なんです。
でも、小学校の入学式の時のことはなぜかよく覚えているんですよね。
確かグレーっぽいジャケット着てた気がします。
でっかいランドセル背負って、満開の桜の下で写真撮ったなぁ…
残念ながら、今年は入学式まではもちそうにありませんね。。。

昨日の早朝5時過ぎ。
明るくなるのも早くなってきました。
ジョギングも終盤に差し掛かる辺りで、少しだけ川沿いを走ります。
少し散ってきてしまっていますが、まだまだ綺麗ですね…
この時期、川沿いの歩道に舞い散る桜を見ると、今でも母方のおばあさんを思い出します。
おばあさんの住んでいた家の近くには、この辺りでは桜の名所として有名な「五条川」が流れていました。
病気で思うように動けなかったおばあさんの車いすを押して、毎年川沿いの遊歩道をお花見して歩きました。
口癖のように「来年は見れんかも知れんけん…」って、毎年言ってたっけ…
本当はダメだったはずなんですけど、この時ばかりはと美味しそうに「ワンカップ大関」飲んでいた顔が、今でも目に浮かびます。。。
川面に浮かぶ桜の花びらを見ると、単純に(キレイだなぁ…)と思うと同時に、なんとなく淋しいような切ないような、感傷的な気分になってしまいます。
”花火大会の終わり”に似た感じ…
私が特別”ロマンチスト”ってわけじゃないですよ。
最近ではこういう心持ちを「エモい」って言うんですよね?
恐らく多くの日本人は、老若男女問わずそう思うように出来ているに違いありません。
散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき
伊勢物語
現代語では
散るからこそ、桜は一層素晴らしいのです。この儚い世の中で、永遠に変わらないものなどはありません。
みたいな雰囲気でしょうか…
満開に咲き誇るのも束の間、瞬く間に散ってしまうからこそ尊く美しい…
それが常であれば、逆にそうは思わないのかも知れないですね。
散る桜 残る桜も 散る桜
良寛
散っていく桜もあれば、美しく咲き続けている桜もある。しかし、それもいつかは散っていく桜である
咲いた瞬間から散ることが決まっている桜。
それでも尚美しく咲き乱れる桜の姿は、”人の人生”と重ねられる気がします。
生まれた時点から終末、つまり死への時計を刻み始めるのは人も同じ。
いや死生観とか、そんな重い話がしたいわけじゃないですよ。
でも、「どうせ散るなら、その瞬間まで盛大に花を咲かせてやる!!」みたいな気持ちは、ずっと持ち続けていたいな…とは思っています。
そうして咲かせた花ならば、どんな短い期間であっても唯一無二の美しいものであるはずです。
咲いていた時間の長さではないですよね。
そしてそんな花なら、散り去った後も、見た人たちの心にずっと咲き続けるんじゃないでしょうか…
だからこそ、残された時間の少なさを憂いている暇があったら、今咲かせられる花を目一杯咲かせてください。
散ればこそ…
季節が廻って、待ちわびた春がくれば、また新しい花が芽吹くものですから。