
大学、専門学校、高校、中学校、どこまで進学したかは人それぞれですが、学生生活を終えたら、多くの人が就職をしたはずです。
ああ、中にはいきなり起業するような人もいるかも知れませんね。
でも何れにしても、卒業後には何らかの職業に就いて働き始めた人が多いと思います。
そしてそれから大凡4~50年は働くことになります。
女性の場合は結婚や出産を機に会社勤めから一旦退く方もいますが、最近は共働きのところも多いですし、そうでなくてもそもそも家事や育児だって大変な労働ですからね。
そういった意味では、人は社会に出てからは、睡眠の時間を除けばほとんどの時間が労働に充てられていくことになるわけです。
それは基本的には労働に対する対価(賃金)を得て社会生活を営んでいく為。
もちろん人によっては社会的な使命感や責任感を最初から働く動機とする人もいるでしょうし、夢を追う為だったり将来に向けたキャリア形成の一つのステップとして就職する人もいるでしょう。
しかしふと気付けばそれが当たり前の日常となり、同じ様なルーティーンが繰り返される中で、何となく惰性で仕事をするようになる・・・そんな人も多いんじゃないでしょうか。
でも一度そこで立ち止まって考えてみてください。
自分は何の為に仕事をするのか・・・
忙しい毎日に翻弄され、今日が昨日と同じなら明日もきっと今日と同じ・・・そんな毎日じゃつまらないじゃないですか。
働くことの意味。
答えなんかありませんよ。
人それぞれですからね。
でもそこに意識を向けた時、ひょっとしたら明日からの仕事への向き合い方が変わっているかも知れません。
善行か懲罰か

諸説あるようですが、「働く」という言葉の語源の一つに「傍(はた)を楽(らく)にする」、つまり「周囲の人を楽にすること」というものがあるそうです。
言語学的にそれが語源なはずはないという人もいますが、それが真実かどうかなんてどうでも良いんです。
それが仮に言葉遊びの類であったとしても、その考え方はとても日本人的だなと私は思います。
どこが日本人的か?
それは日本人は労働を善行と見る向きが強いからです。
現存する日本最古の歴史書である「古事記」。
そこには天照大神が天の岩戸を開けてみると、他の神々は野山に出て働いていた・・・とか、天照大神が機を織り、田を耕す描写があったりするんだとか。
つまり日本では神が働いているわけですね。
この「労働=神の営み」という価値観が、日本的労働観の一つである「労働神事説」に繋がっています。
働くことは神々と共に世界を造る神聖な行為であり、神に奉仕する善行である・・・ということです。
要は働くことはポジティブなことだと捉えているんですね。
そこを起点として見ると、「傍を楽にする」というのはやはり日本人的な思考だと言えます。
でもこれも行き過ぎてしまえば負の側面が顔を覗かせます。
例えば長時間労働を是とする思考であったり、休むことに対して心理的な抵抗を感じてしまったり・・・
労働を善行とするあまり、働くというその行為(労働そのもの)が目的化してしまうんです。
働き方改革が当たり前となった現代社会では時代錯誤な考え方ですが、それでも少し前の世代の方は未だにそういった価値観に縛られている人が実は多いんですよね。
では逆に日本人的ではない考え方とはどんなものか。
例えば欧米では、キリスト教やユダヤ教に由来する「労働懲罰説」という思想があります。
旧約聖書にある、禁断の果実を口にしたアダムに対して、神が「額に汗して働かなければならない」という罰を与えた・・・というものが起源なんだそうです(因みにイブには「妊娠と出産の苦痛」を罰として与え、果実を食べるように唆した蛇は腹這いの生物とされた)。
つまり労働は悪行を犯した者に対する罰。
故にカトリックでは、労働は生まれながらの罪を償う手段として位置付けられています。
労働は懲罰であり、苦行である。
そういう文化的な側面があるから、効率性を高めて労働時間を短縮したり、省人化や合理化などが進められ易いのでしょう。
労働懲罰説では苦行である労働自体に意味を見出す必要がないということなのかな。
まあでもそれで結果として生産性が上がるのなら良いと思いますよ。
少ない労力で大きな成果が得られるなら、きっとみんなハッピーですからね。
営利目的の組織であればこれ以上のことはありません。
それに「日本人的ではない」と言いましたが、今の日本の労働者は、どちらかというとこの労働懲罰説的な労働観の人の方が多くなってきている気がします。
ただそれは効率性を求めるというポジティブな方向性ではなく、労働は苦行であるというネガティブな思考の方です。
「働いたら負け」みたいなことを言う人もいるじゃないですか。
前向きに仕事に取り組んでいる人を「社畜」と揶揄してみたり、「静かな退職」というおかしな言葉が流行したり・・・
もちろん劣悪な労働環境や違法な労働条件の場合は、そんな会社にしがみつく必要もありませんし、その会社の方に問題があるということは言うまでもありません。
今の世の中そんな会社はすぐに淘汰されていくことでしょう。
でも自分の弱さや意欲の無さの隠れ蓑として、「仕事に熱くなってる奴はバカ」みたいに言うのは違うと思うんですよ。
まあそういう人たちの方こそ私に言わせればよっぽどダサいし、惨めだなぁ・・・なんて思うんですけどね。
なんでそんなに歪んでしまうのかなぁ。。。
だってそんな生き方つまらないじゃないですか。
会社や仕事に縛られるような生き方を推しているということでもありませんよ。
ただこの現代社会で生きていくには、限りある人生に残された時間の殆どを労働に費やさなければならない・・・ということは紛れもない事実なんです。
であれば、仕事だって楽しんでしまわなければ損な気がしませんか?
少なくとも私はそういう考え方です。
楽しむと言っても、それは決して「楽して稼ごう」的なことでは無いですよ。
寧ろその逆です。
出来なかったことが出来るようになったり、挑戦的な目標に全力で取り組んで達成したり、大きな壁に立ち向かって限界を突破したり、失敗に悩み困難にもがきながらも仲間と協力し合って成果を勝ち取ったり・・・
良いことも悪いこともたくさんありますけど、そういうのも全部ひっくるめて楽しんでしまおう。
それが私の基本的な姿勢です。
だから仕事に対して適当な人や不誠実な人、責任逃れで言い訳ばかりする人、仕事に対して嘘をつく人、そういう人を見ると無性に腹が立つんです。
ミスが多かったり能力が足りなかったり、そんなのはどうでも良いんですよ。
仲間がいくらでもフォローしてくれますし、続けていけば足りないものは身に付きます。
そういうの、伝わってくれると良いんですけどね。。。
そんな私にとっての働く意味。
改めて考えてみると、なかなか難しい問題ですね。
強いて言うと「自己実現」でしょうか・・・
心理学的には「自分の能力や可能性を最大限に発揮して、自分がなり得る全てのものになること」というのが自己実現。
夢の実現や欲求の達成というより、本来の自分らしさが最大限生かされた状態になる、という感じです。
そして「働く」ということは、私の能力や可能性を発掘したり開発したりする作業・・・といったところですね。
どんな自分になれるのか、それはまだ分かりません。
だって私にもまだ秘められた才能が眠っているかもしれませんからね。
ただ16歳の時の担任に「お前みたいなやつが将来人殺しをするような人間になるんだ!!」なんて言われていた奴が、その後どこに辿り着いてどういう人間になるのか・・・
それを私自身、誰よりも楽しみにしているんですよね。。。