似て非なるもの

 

 

 今週から11月がスタートしました。
そして早速、先週のブログでも触れたアメリカの中間選挙が行われていましたね。
結果は多くの人の見立て通り、与党共和党が上下院共に過半数割れで惨敗という結果に終わりました。
トランプ支持の方もいらっしゃるかも知れませんが、客観的に見てこの結果は妥当だと思いますし、世界的に見ても良かったんじゃないでしょうか。
まああの御仁のことですから、残りの任期で何らかの爪痕を残そうとして、また無茶をやりだしそうな気がしないでもありませんけど・・・

アメリカにもまだ辛うじて良心や良識が残っていたということなんでしょうね。
そして同時に、一般市民の中には現政権に対する不満や不安が相当鬱積しているのだろうとも感じました。
結局選挙って言うのはそういうものの分かり易い捌け口なんですよね。
物価高なんかは市民生活に直接影響を与えますので、それがこれまでの支持層からも「NO」を突き付けられたわけです。

だって
「この物価高は前政権のせいであり、自分が大統領になったらそんなものはすぐに終わらせられる!」
なんて言っていましたもんね。
で何をしたかといえばその物価高を更に増幅させるような関税政策やイラン戦争・・・
そりゃあ国民も怒るに決まっているじゃないですか。

 そういえばこの人
「自分が大統領になったら、ロシアのウクライナ侵攻も24時間以内で止められる!」
とも言っていたなぁ・・・

あれから2年、一体どうなっているんでしょうか。
まあともかく残りの2年はおとなしくしていて欲しいものですね。。。

 

 愚痴と悪口

 

 ストレスや不平不満、不安や怒りといったネガティブな感情は誰しも少なからず抱えているものです。
そういうものに全く無縁の人なんかいませんよね。
実際私自身も含め、私の周りにだってそんな人は一人もいません。

しかも会社という組織体で仕事をしていれば、尚更そんな感情に曝されることは多くなるものです。
そこには利害や責任というものが付き纏いますし、その上である種運命共同体的な部分もありますからね。
さらにその組織を構成する人たちは、ほとんどの場合でそもそも赤の他人。
例えると、たまたま同じ電車の同じ車両に乗り込んだ乗客のようなものです。
偶然向かう方向が同じ方角なだけで、多くの場合必ずしも目的地が同じというわけでもない人達。

しかしその電車に乗り合わせたというだけで、同乗する乗客と時に協力したり競争したりしなければならないんです。
単に近所や同じ学区の子の集まりである小学校や中学校、ほぼ同程度の学力や希望する進路で集まる高校や大学とはわけが違います。
年齢や性別、国籍、知識や経験、意欲や動機など、全く違う出自や属性を持つ赤の他人と共に働かなければなりません。
それはもうストレスフルな環境だと思いますよ。
特に我々の様な中小企業は中途採用がほとんどですので、いわゆる同期という人もほぼいないんです。
偶然気の合う仲間と出会える場合もありますが、少なからずみんな何らかのネガティブな感情を抱えて仕事をしていると思います。 

だからと言ってそんな感情に支配されたり抱え込んでいては良い仕事なんて出来ないし、それこそ心の方を病んでしまうこともあるでしょう。
今はもう取り引きは無くなりましたが、以前取り引きのあったある会社なんかは正にその典型でしたね。
精神的に病んでしまわれる方が非常に多かったんですよ。
当時は私も毎日配送に行っていましたので、よく顔を合わせていた事務員さんが日々壊れていくのを目の当たりにして気の毒に思ったものです・・・
会社の雰囲気の悪さは、我々出入り業者にもひしひしと伝わってきていました。

 

 誰もが抱えるこの負の感情。
これを如何にコントロールできるか・・・なんですよね。
社会に出て最も必要となる能力の一つだと私は思います。

上手く咀嚼して、飲み込んで消化できればいいのですが、それには相当な訓練が必要です。
或いは強い反発心でそれを糧にして乗り越えていければいいんですけど、そんなエネルギッシュな強さを持った人なんて本当に一握りしかいません。

抱え込むことも出来ず、消化することも発奮材料にすることも出来なかった感情の吐露・・・
それが「愚痴」ってやつです。
周りにも何人かはそういう愚痴の多い人っているんじゃないですか?
正直そんな事ばっかり聞かされていると、こっちもなんだか嫌な気分になってしまうものです。
そういうのって伝播してしまいますからね。
でもそれはきっと共感して欲しくて言っているだけではないんです。
そうやって自分の心を守っているということなんですよ。

だからその捌け口として愚痴を言うのは、ある意味仕方のないことなんです。
それがその人にとっての最後に残ったコントロールの仕方なんですから、それを止めさせることも出来ません。
そもそも人の口を封じることなんで出来もしませんし、仮に口を噤めと言ったところで今度は逆にその人自身が壊れてしまうわけですから・・・

 

 ただ、それがただの「悪口」になってしまってはいけません。
それって最早自分を守る為の術ではなくなっていますよね。
それは誰かや何かを攻撃するということに他なりません。
そうなると話は違ってくるんですよ。

愚痴と悪口は似て非なるものです。
だからそれを混同してはなりません。
愚痴に悪意や攻撃性はありませんからね。
だから私は愚痴なら聞きますよ。
でもそれが悪口の類となれば、そんなものは聞きたくもありません。
それは組織を崩壊させる”種”でしかないんです。

 そしてその愚痴を言う相手にも気を付けなければなりません。
例えば自分の上司が口を開けばその上の上司の愚痴ばかり・・・なんてことありますよね。
でも言われた部下はその内情を知りもしないので、それが悪口ばかり言っている様に聞こえてしまうんです。

多くの場合、部下は自分の将来像を上司に照らして見ています。
それが人の悪口ばかり言っている人だったら・・・そりゃあ嫌にもなってしまいますよ。
だから愚痴を言うのは仕方ないにしても、その捌け口は選ばなければならないんです。

そもそもそういう愚痴なら、いっそのことその上司に漏らしてしまえばいいんです。
或いは本人のいない陰で言うのではなく、公に言ってしまうだとか。
実際そうしてみたら、「なんだこの野郎!」なんて具合にはならないと思いますよ。
寧ろ「そうかそうか」と聞いてくれる人の方が多いんじゃないかと思うんですけどね。

 

 

 私も最近そういう愚痴を時々耳にします。
そりゃあ毎日忙しくやっていますから、不平不満が募ってしまうこともあるでしょう。
でも私に言ってきている時点で、それはある種正常な事なんだと思っています。
だってそれは「悪口」ではなく、「何とかして欲しい」という訴えな訳ですからね。

それに仕事に於いてある程度のストレスや不平不満があるということは、ある意味責任感や一生懸命さの裏返しだとも言えるんじゃないかと思います。
だって逆に無責任でいい加減に仕事をやっている人って、そういう感情にさえ至らないじゃないですか。
つまりそれは頑張って仕事をしている証左なんです。

だから尚更気を付けて貰わなければなりません。
愚痴と悪口は違うということ、そして捌け口の相手を見誤ってはいけないということ。
そうすれば状況は好転していくものだと、私は思いますよ。