
・疾如風「疾(はやき)こと風のごとく」
・徐如林「徐(しず)かなること林のごとく」
・侵掠如火「侵掠(しんりゃく)すること火のごとく」
・不動如山「動かざること山のごとく」
皆さんご存知の「風林火山」。
甲斐の戦国大名、武田信玄率いる武田軍の軍旗にあった言葉です。
「孫子」からの引用の言葉ですが、戦の時の心構え、理想的な進軍の在り方として武田軍の旗印に掲げられていたのだそうです。
そんな戦国時代最強とも言われる武田信玄公。
この人、組織のリーダとしてもとても有能な人だったんだそうです。
「公平」であること
信玄は「我、人を使うに非ず、その業を使うにあり」という言葉を残しています。
これは「私は人を使うのではなく、その能力を使うのだ」と言う意味。
つまり身分や縁故、或いはその人の好き嫌いではなく、その人の持つ能力を正当に評価して活用するという事です。
これ、なかなか難しいですよね。
リーダーも所詮”人”ですから、ダメだと頭で分かってはいても、部下の評価に私情を挟んでしまいがちです。
今当社では「昇給考課」を行っています。
これはその人の仕事に取り組む姿勢などを評価してポイントを付ける「基礎考課」と、その人の技能や職務遂行能力を評価してポイントを付ける「職務考課」から成り、そのポイントによって付される「号俸」で昇給幅を決定するものです。
それで今回考課をする側の管理者の、部下に対する評価点数を見ると、どうもブレているというか変なバイアスが掛かっているような気が・・・
仲の良い人とそうでない人、扱い易い人と扱い難い人、なんとなくそんな「好き嫌い」の物差しが入ってしまっている感じなんですよね。。。
もちろん複数名で考課をして平均化しますので、そういった個人的な感情が反映されにくいようなシステムにはしています。
だってそのポイントが、そのまま給与に直結してしまう訳ですから・・・
でもそこはやっぱり公平に、フラットな視点で評価して欲しいなぁ。。
その人自身の考課ポイントに「部下の能力を適正に評価することができるか」って項目もあるんだし。。。
逆に不具合の対策や改善活動の様な場合でも、「人」にフォーカスしてしまいそうになることがあります。
あくまでも潰すべきはその「こと(不具合)」であり、間違っても人を”吊るす”様なことがあっては真因に辿り着けませんので、改善していくこともできません。
責任を追及したいわけでもないですからね。
でも「あの人は普段から〇〇だから・・・」みたいな考えに陥りがち。。。
実際にその人自身に問題があるケースも無いことは無いですが、それをその人のせいで済ませてしまっては先に進みません。
そもそもそんな属人的なやり方で良いのか??と考えるべきじゃないでしょうか。
「人を憎まず行いを憎む」じゃないですけど、そういう場面でも、やっぱり「公平性」って大事だと思うんです。
さらに信玄は、自らも厳しく律するという部分でも公平な人物だったそうです。
信玄が定めた甲州の分国法には、信玄自身が法度に反することがあれば、誰でも投書で申し出ることができるシステムだったんだとか・・・
加えて内容によっては、信玄自身も法の裁きを受ける様な定めがあったようです。。。
部下にルールを守らせるには、まずリーダー自身がそのルールを守っていなければなりませんからね。
現代では当たり前(上級国民的な例外はあるのかな?)のことですが、戦国の世ではその領地の当主と言えば絶対的存在です。
自らそんな法度を定めるなんて、本当にそういった部分は徹底していた人なんだろうと思います。。
「人は城・・・」

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
これは信玄が詠んだ和歌です。
「城や石垣や堀の様に、信頼できる人間は強固な守りとなる。いたわりや思いやりの心をもって接した人は味方になり、恨みや危害を与えたものは敵となる」という意味。
実際に他の武将が本拠地に堅牢な居城を築いていた戦国の世で、信玄は城ではなく小さな「館」に居を構えていたそうです。
それも「部下を育て、強い武士の集団を作ることが、立派な城を造るよりも大切なことだ」との考えによるものだったのでしょう。
現代社会でも、社屋は目一杯立派にしてあるけど社員がダメダメで業績も・・・みたいな会社ありますよね。
やっぱり社員が高いモチベーションをもって、十分にその能力を発揮しながら活き活きと働ける職場の方が、業績も上向くというものです。
立派な社屋はお金で買えますが、それよりも強い組織に必要なのは良質な人財ですから、そういった意味で「人を大切にする」という事は、企業にとっても最優先事項なんだと思います。
人を大切にすることで多くの部下に慕われ、強いリーダーシップで、戦国最強と言われた武田軍を率いていた武田信玄。
戦によって勝ち取った領地は、その戦で功のあった家臣に分け与えるのが普通だった時代、信玄はその新しい領地をすぐに家臣に分け与えることはしなかったそうです。
その理由は2つ。
1つは新たに広げた領地ではなく、それまで武田が管理していた土地を分け与えたからだそうです。
戦で荒らされたり瘦せた土地を貰うより、武田の管理下でインフラも整っている肥えた土地を貰った方が、知行を受け取る家臣は嬉しいですよね。
それに新たに奪った領地の人たちからすれば、そもそも武田勢は「敵」なわけです。
そんな民衆に囲まれて、いつ何時反乱が起こるとも分からない土地よりも、武田色に染まった土地の方が運営もし易かったんじゃないでしょうか。。。
もう1つの理由は、新たに広げた領地を武田直轄の領地とする為。
そしてそこでは新たに代官や奉行を配置したり、治水工事などによってインフラを整備したりして、人々の暮らしを豊かにする様々な施策を通じて、領民との融和を図ったそうです。
年貢も低めに設定するなどすれば、新たに広げた領地に暮らす人々も喜びますよね。
そんな民衆との信頼関係の構築を優先しようとしたところからも、信玄の「人を大切にする姿勢」が垣間見える気がします。
「人を大切にする」という視点から、武田信玄とビジネスを結び付ける内容を想定して書き出した本稿。
書いているうちにどうしても頭をよぎってしまうのは、やっぱりロシアの問題でした・・・
「情けは味方、仇は敵なり」
これ、誰かプーチンさんに教えてやってくれませんかね。。。
「いたわりや思いやりの心をもって接した人は味方になり、恨みや危害を与えたものは敵となる」
これって日本人特有のものでも、日本という国に限った話でもないと思うんです。
圧倒的な戦力の差をもってしても、部下の士気が低くて戦果に繋がっていないんですよね?
危害をもってどれだけ恐怖を植え付けたところで、被害国であるウクライナの人々は、最後まで戦う姿勢を緩めることは無いんじゃないでしょうか?
「人を想う」「人を大切にする」という事を、今一度世界中の人が考えてみるべきなんじゃないかと思っています。