
昨日、また中東の方で軍事衝突があったそうです。
日本にいる以上はさほど実感もなく、遠く異国の地でまた戦争が始まった・・・というくらいの感覚ですが、世界を見渡せば武力行使まではいかないまでも緊張状態にある地域はいくつもあります。
実際にウクライナとロシアの戦争のように、何年も戦争を続けている国もありますしね。
ロシアの侵攻開始当時、「正義の反対側にあるものもまた正義」という様なブログを書いた覚えがあります。
ああ、もちろん侵略者の言い分を正当化するものではありませんよ。
ただ一方から見れば明らかな「悪」であっても、そこにはもう一方の当事者にとっての「正義」がある。
よってそれは片方が「正義vs悪」の戦いだとしていても、立場が変わればその概念も逆転するということです。
歴史的な問題や宗教的な問題、政治的な背景や利害の対立など、紛争のきっかけは様々であり、双方に言い分もあるのでしょう。
でもだからと言って、やはりそれを力(武力)で解決しようとするのは間違いです。
それは負の感情の連鎖を生み、報復に継ぐ報復という形で終わりのない争いとなってしまいます。
互いに振り上げた拳を下すことが出来なくなってしまうのものですからね・・・
エコーチェンバー

そういった衝突は、何も国と国の間に限ったものではありません。
その争いの「種」は、私たちの日常生活にも潜んでいるんです。
自分は正しい(正義である)と凝り固まってしまうことは、その意に反する人は間違っている(悪である)と断じてしまうことに繋がってしまいます。
でもやっぱりそれってすごく危険なことだし、それは双方にとって不幸なことですよね。
最近よくある「炎上」なんてのもそうじゃないですか。
そりゃあ不祥事的なものによっての場合もありますが、くだらない奴のどうでもいいような発言一つでも、みんなで寄ってたかって叩きまくって・・・みたいな。。。
それがきっかけに、最悪命を落としてしまうなんてこともあるわけです。
SNSなんてまさにその温床ですよね。
「エコーチェンバー現象」というそうですが、同じような価値観の人たちばかりの狭いコミュニティで、同じような意見ばかりを見聞きすることで、その価値観が強化、固定化されてしまう現象です。
そもそも「いいね」とか「フォロー」などは、その対象者に対する共感であり、意見の賛同ですよね。
そうすると、似たような価値観の人たちとばかり繋がるようになってしまうわけです。
そうして強化、固定化された価値観がその人の「正義」となり、異なる意見に対して矛を向けるようになってしまう・・・
それが小さな(人によってはとても大きいのかも知れませんが)もので言えば「いじめ」だったり、ネット上で言えば「炎上」だったり、国と国になれば紛争だったり・・・
そういう争いの「種」になってしまうんです。
身なりが違う、家庭環境が違う、趣向が違う、意見が違う、価値観が違う、宗教が違う、肌の色が違う、話す言葉が違う・・・
自分と全く同じ人間は自分しかいないのですから、自分以外の人とは何かが違っていて当然です。
それを自分(自分の信じるもの)と違うことを理由に、敵意を向けてしまっていてはキリがありません。
だからまずは、そういう相手を「認める」ということが必要なんじゃないかと思うんです。
相手のすべてを受け入れる必要なんてありませんよ、当然好き嫌いだって誰にでもあります。
ただ、「ああ、この人はこういう考え方なんだな」と認めるだけでいいんです。
それが正しいが間違っているかということでは無く。
なぜなら、その正義は立場が変われば簡単に逆転してしまうのですからね。
寛容な心

そしてそういう多くの人を束ねる立場、或いはそういう組織を動かすような立場の人であれば、尚更偏った考え方ではいけません。
それは近隣の独裁国家のリーダーを見ていれば明白ですよね。
最近は残念ながら我が国の同盟国のトップも独裁者のように振舞ってしまっていますが・・・
そういう人たちは、やはり強烈に思考が偏っているんです。
そしてそういう人たちの共通点として、自分と違う意見の人間は認めない・・・という性質があります。
だから自分と意見の違う人間は排除し、イエスマンばかりで脇を固めるんです。
でもそれが故に、更にその思考が強化されてしまうのでしょう。
そしてその結果、周囲が理解できないような極端な行動に出てしまうのです。
言ってみれば「裸の王様」ですよね。
そして誰もその王様に「NO」とは言わない。
そんな国(組織)が上手くいくわけないじゃないですか。
もちろんリーダーには「芯」は必要です。
それが無ければリーダーシップは発揮できませんし、組織を動かすことは出来ません。
軸がブレてしまってはダメです。
でも同時にリーダーは多様な意見を認め、誰に対しても公平に接する寛容な心が無ければなりません。
その中で自らの責任の下に決断をし、自らの考えを自らの言葉で伝え、自らが先頭に立って行動する。
それが在るべきリーダーの姿ではないでしょうか。
「耳障りの良いことばっかり言う奴は信用できん」
基本的に私はそういう考え方です。
「それは違うんじゃないですか」
「私はこう思います」
そう言える人の方が信用できますからね。
私は自身に寛容な心が備わっているかは分かりません。
でも基本的に人の話は聞きますよ。
その上で、必要であれば議論を交わします。
最初から自分と違う意見には耳を傾けない、自分と違う意見の人を排除するなんてことは出来ません。
それは私が「裸の王様」にならないための術。
そして私たちが乗るこの船の針路を定め、正しく舵を切って進む為に必要なことだと信じています。