「叱る」

 

 

 年が明けて2週間、長いお休みの会社も今週からは通常稼働です。
学生さん達も冬休みが終わって学校も再開し、世の中全体が正常運転に戻っていますね。
皆さんは日常のペースを取り戻せているでしょうか?

 こういう時は生活のリズムがなかなか戻らずに体調を崩してしまったり、これまでそうそう起こすことの無かった様なミスを犯してしまったりしがちです。
長い休みの後はそんなものですよね。
人間は「慣れる」生き物ですから。。。

 かく言う私もなんとなくまだリズムが戻りきらない感じです。
体調は全く大丈夫なんですが、なんだか疲労感が抜けなくて・・・
歳のせい?
いやいや、まだペースが掴めていないだけだと思いますよ。
きっとそうに違いありません・・・

 

 

 ”ちゃんと”叱れているか?

 

 

 仕事初め早々、先週末は「営業会議」、そして今週は「生産会議」が開催されました。
その中で出た言葉が、冒頭の「”ちゃんと”叱れているの?」という言葉です。
決められたことが守られていないという話の流れから、職場の空気の緩み、緊張感の無い雰囲気、秩序の乱れなどの話になった時のことでした。

「ルールは決めたんですが、まだ文書化出来ていなくて・・・」
と発言をした人がいました。
そこで私が発したのが
「いやいや文書化なんかはどうでもいいのよ。それよりもその時にその場にいるリーダーや責任者が”ちゃんと”叱れているかどうかでしょ?」
という言葉です。

 ここだけ切り取ってしまうと私が「文書化する必要は無い」と言っている様に取られてしまいそうですが、そういうことではありません。
事と次第によっては必要なことだってありますよね。
ただ文書化する事の一番の目的とメリットは「記録」と「周知」です。

 言い換えると、ルールを正しく運用し、秩序を維持することを目的とするなら、文書化して配布したり掲示したりするだけでは、それほど効果が見込めないということです。
ルールを決め、周知したらそれは「守られる」のか・・・
私は無理だと考えています。

決めたら守られる、伝えたら実行される、そんな考えは大甘ですよね?
もちろんそれは職場の「風土」にもよると思いますが、ルールを決めて周知しただけなら、ほとんどの組織(企業)で持って数カ月、下手したら数日しか維持できないものだと思います。
「コンプライアンス遵守だ!!」なんて言っていても、大手企業でさえ様々な不正が後を絶たないじゃないですか・・・

 

 道路交通法の有効性が維持されているのはなぜだと思いますか?
法律で決まっているから?
違反すると反則金などの厳罰があるから?

もちろん「人の命を奪ってしまう危険性があるから」と考える人も少なからずいるとは思いますよ。
でも一番の抑止力は、「警察が取り締まりをしている」ことだと思うんです。
制限速度40Km/hの一般道、「ここは絶対に取り締まりをしない」と仮に警察から確約されていた場合、ほとんどの人が制限速度なんて守らずに走行すると思いますよ。
それが法律で決まっていたとしてもです。

 法律でさえそうなのに、自分たちで決めたローカルルールが「決めただけ」「文書を配布しただけ」「掲示板に掲示しただけ」で守られるはずないじゃないですか・・・
だから責任の所在を明らかにして、日常的に監視し、違反があれば取り締まって”ちゃんと”叱る事が必要なんです。

 

 

 「怒る」と「叱る」

 

 

 ここまで敢えて「”ちゃんと”叱る」と書いてきました。
それは「怒る」のではなく、ちゃんと「叱る」ことが前提だからです。
これ、頭では分かっていてもなかなか難しいんですよね。。。

その一番の違いは、「誰の為に」そうするのか・・・です。
「怒る」というのは、ただその人の抑えられない感情の発露、つまりその人自身が感情を爆発させることによって精神を安定させようとする衝動に過ぎません。
つまり「自分の為」なんですよね。

だから相手の事なんてその時点では考えていません。
それが暴言や威圧的な態度に繋がったり、必要以上に相手を責め立てることになってしまう理由です。
さて、それで何か改善が見込まれたり、想いが伝わったりするのでしょうか・・・
そんなはずありませんよね。

 一方で「叱る」と言うのは「相手の為」に「相手を想って」する行為です。
対象者の良くない言動を是正し、その人自身の成長を期待し促す為のもの。
だからどうでもいい人に対して叱る事なんてできません。
その人がその後どうなろうが、知ったことではないからです。
「言われているうちが華」ということですね。

 

 と、ここまでは頭で分かっていても、上手に、ちゃんと叱る事はやはり難しいものです。
私心を捨て、感情を抑え、論理的に叱らなければなりません。
なぜなら相手に100%納得してもらう必要があるからです。
「なぜそうしてはいけないのか」或いは「なぜそうしなければならないのか」を完全に腹落ちさせなければいけませんからね。
そうしなければ、その人が自身の成長に繋げることが出来ないからです。

 そして同時に、想いの伝わる叱り方でなければなりません。
「あなたに期待している」「あなたの成長を願っている」などの想いです。
それがその人の良くない言動を正す原動力となり、「この人がそう言うんだから正さなければ・・・」という信頼関係にも繋がっていきます。

 その為に、叱る側にも必要なものがあります。
一つは「情熱」です。
叱るという行為には、相応のエネルギーが必要なんですよ。
「気迫」と言い換えても良いかも知れません。
人格を否定したり、頭ごなしに押さえつけたりするものでなければ、時に強い口調になっても構わないと私は思います。
ちゃんと「想い」があればですよ。
そうでなければ相手の心にも刺さりませんからね。

 もう一つは叱る側の哲学や美学、価値観などの「芯」です。
叱るということは、裏返すとその叱られる原因となった事象に「重きを置いている」というメッセージです。
どうでもいいことで叱る事なんて出来ないですよね。
それはあなたにとって、またはその会社にとって大事なことである・・・というメッセージ。

だから「芯」が必要なんです。
その度に言っていることが変わってしまったり、人によって叱ったり叱らなかったりしていたら、叱られた側にそのメッセージは届きません。
ブレずに情熱を持って叱り、「何が大事なのか」を伝えて深く相手に植え付ける。
それが組織として習慣化すれば、会社全体の一貫した「価値観」となり、「企業文化」として根付くことになります。
そしてその「価値観」「企業文化」こそが、その会社の「強み」となるんです。

 

 

 翻って私自身はどうか・・・
やはり言う程ちゃんと叱ることが出来ていないかも知れません。
多くの場合、私は「叱る」ではなく「諭す」になっている感じじゃないでしょうか。

何が違うかというと、「情熱」とか「気迫」が有るか無いか・・・と言うところです。
もちろんそれが無いわけではないんですけど、ハラスメントにならないように・・・などと気にするあまり、その辺が少し足りなくなっている気がします。
なんとなくこのブログを書きながら気付いたんですけどね。。。

 かつて野村克也さんが
『「叱る」と「褒める」というのは同意語だ。情熱や愛情が無いと、叱っても、相手はただ怒られているという捉え方をする。』
と言っていました。

なるほど。。。
これは私も正さなければなりませんね。
今年は私も”ちゃんと”叱ることが出来る様に、気を付けていきたいと思います。

 

 

 

 

 

コメントを残す