前進

 

 

 年が明けて二週間。
正月気分もそろそろ抜けて、通常モードに切り替わっている方も多いですよね。
私はまだ今週も挨拶回りに出かけることが多かったのですが、
「明けましておめでとうございます!」
なんて新年の挨拶も、なんだかもう気恥ずかしい感じになってきています。。。

取引先の方々に直近の業況や今後の見通しなんかを聞いてみても、言うほど悪くない・・・という感触のところが多い感じです。
確かに取扱製品の種類、つまり機種だったり車種によっては、売れ筋の物とそうでないものは有りますからね。
そういう部分では”まだら模様”ではありますが、総論として見通しが「厳しい」という話はあまり聞きませんでした。

ただ皆さん口をそろえて言うのは
「何か極端な事が起きなければ・・・」
ということ。
外的な要因はコントロールできないので仕方ありませんが、特に輸出の方はそういった影響が大きく出るということだと思います。

実際世界を見渡せば、あちこちで不穏な空気が漂っている感じです・・・
でもそれを見越して事前に準備するなんてことは現実的に難しいので、我々はただ何事も起こらないようにと祈るしかありませんね。。。

 

 

 成果とプロセス

 

 

 そんな中でも当社はこの年始も非常に多忙を極めています。
昨年12月からいろいろなイレギュラーが起こり、その影響も大きいんですけどね・・・
そこで今週12日の祝日、少しでも生産を前進させようと一人現場で作業をしていました。

誰もいない中での作業でしたのでラジオを聴きながら仕事をしていたところ、ある番組で
『成果に対する評価とプロセスに対する評価、どちらがいいですか?』
みたいなアンケートをやっていました。
なんとなく”ながら聞き”していたので、「何についての評価」のことなのかはよく分かりません。
でも仕事に対しての様な回答が多かったみたいなので、たぶん仕事についてのことを前提としている感じ。

いろいろと意見は寄せられていたようですが、最終的に「プロセス重視」という方が大勢を占めていました。
ちょっと比率までは覚えていないですけど・・・
ただ私はそれを聞いて、どちらかというと否定的な感覚を覚えたんです。
まあ価値観は人それぞれなので、どちらが正解か・・・という話ではありません。
でも敢えて言えば、それは私の価値観の真逆をいくものだったんです。

 

「結果はどうあれ、努力したことを認めるべき」
「成果にこだわると、難しいミッションに挑戦できなくなる」
そんな意見があったように記憶しています。

いや、言いたいことは分かりますよ。
もちろんそれを全て無視して、プロセスは全く評価しない・・・ということでは無いんです。
ただそれが「仕事」についてのことなのであれば、私は全く同意できません。
恐らく直接そういう意見をぶつけられたら、私は真正面から反論することになると思います。

例えば毎日休みなく、誰よりも早く来てトレーニングに励むスポーツ選手。
でも努力は必ず報われるわけではありません。
例えばその選手が1シーズン、公式戦で1分もプレーすることが出来ず結果を出すことが出来なかったら・・・
恐らく多くの場合、その選手とチームは契約を延長することはありません。
したとしても減俸は免れないですよね。
または移籍させたり、セカンドチームに送って別の若手にチャンスを与えるでしょう。
それが「プロ」の世界です。

翻って先ほどのアンケート。
その前提が「仕事」だとするならば、私は圧倒的に「成果を評価すべき」という意見になります。
何故ならば、仕事をしてお金(給料)を得た時点で、それは職業に関わらず「プロの仕事」だと私は考えるからです。
プロならば、それでお金を得るならば、必ず結果を残さなければなりません。

同じ成果ならば、努力せずに偶然得られた結果より、努力や改善を重ねて得られた結果の方を評価はしますよ。
でもプロセスに対する評価なんて言うのはそれくらいです。
まず成果を上げることがプロとしての使命じゃないですか。

厳しいかも知れませんよ。
それは自覚しています。
でもそうしなければ、誰も成果を追わなくなってしまうじゃないですか。
それで良いと私は思えないんです。

それにそもそも、それが仕事だとするならば、努力することは「当たり前」なんです。
というか、結果を出す人にとっては、それはもはや努力でさえないんですよ。
やって当然のことであり、それをすることが前提。
良い選手はそれを見せびらかしたりひけらかしたりしないだけで、もれなく努力しているはずです。
人より多く走り込む、人よりたくさん素振りをする・・・
それは努力ではなく、プロとして結果を出すためにやる「当たり前の行為」であるから、本人にとってはすでに努力だとさえ感じるものではないんですよ。

だから「プロセス」だけをもって仕事の評価をすることなんてあり得ません。
比較すること自体が不適当なくらい、それらの次元は違うものだと私は考えます。
どんな職業の人であっても、そういうプロ意識を持って仕事に取り組むべきなんじゃないでしょうか。

 

 

 静かな退職

 

 それが私の価値観であり、正義です。
でもそれは、人によっては抵抗感を覚えるものであり、ある世代以降の人にとっては前時代的に映るものであろうことは自覚しています。
それを象徴するようなニュースを先日目にしました。

それは20代の正社員の凡そ半数近くが「静かな退職」をしている・・・というニュースです。
この「静かな退職」という言葉、最近よく耳にしますよね。
これはその職場に留まりながらも意欲的に職務に取り組まず、最低限の仕事しかしない労働者のことです。
具体的には
・言われたことしかやらない
・追加的な努力や貢献をしない
・昇進やキャリアアップを望まない
・残業などに協力しない
という様な社員のこと。

一昔前で言う「ぶら下がり社員」みたいなものですね。
居心地がいいから離れないだけで、仕事に情熱を向けられず、何の付加価値も生まない社員。
皆さんの職場にも、一人や二人は居るんじゃないでしょうか?
そういう思考の人が、若者の半数近くに上るんだそうです。
そりゃあ私の個人的な価値観と相容れられるわけありません。

 

 だからそういう人がいても、私の価値観を押し付けたり強要することは出来ないんです。
そしてそれが私を「藻掻かない奴は溺れろ」という考え方に至らしめる出発点。
必死に努力している人は何としても救おうとするけれども、その努力をしない人が沈んで行く分には私が手を差し伸ばすことは出来ないんです。

でもそれでも、今まではそういう人も何とか同じ方向を向かせることが出来ないかとやってきました。
ただ最近気づいたんです。
それをし過ぎると、自発的に頑張れる人、成果を出すために努力が出来る人が報われなくなるんじゃないか・・・と。

努力もせず勉強に付いてこれない人に合わせて授業を遅らせていると、努力をして授業に付いてきている人が不幸を被る・・・という感じでしょうか。
全てを切り捨てればいいとは言いませんが、そうし過ぎると頑張っている人はやってられないですよね。
だからどこかのタイミングで、付いてこれている人と前進しなければならなくなるんです。

 

 

 ひょっとしたら今がそのタイミングなのかも知れない・・・
最近そう思うことがよくあります。
それが何となく私の胸にある「停滞感」をぶち壊すきっかけになるんじゃないか。
そう思いだしました。

みんなで同じ方を向いて進んで行くのがあくまでも理想ですが、それが出来ないなら出来る人だけで進んで行くしかない。
いつまでもここに留まっているわけにはいかない。
そんな焦燥感があるんです。
この新しく始まった2026年を、我々が次のステージへステップアップする一年にする為に、そろそろ覚悟を決めて進んで行きたいと考えています。