
深く知識を追求したり、経験に裏打ちされた専門的なノウハウを持っていたり、何かの能力や技術を突き詰めたスペシャリスト。
アーティストやアスリート、学者さんたちなどはその典型ですよね。
他の追随を許さない圧倒的な技術や知識、その道を究めた正にプロフェッショナルな人たち。
彼らはその知識や能力、技術によって事を為すわけです。
だからその為に、恐らく凡人の私などには想像も出来ないような努力を重ねてきたでしょうし、どれだけの困難があっても諦めずに、粘り強く取り組んできたであろうことは想像に難くありません。
まあ中には生粋の天才肌の人もいるでしょうけどね。。。
製造業にも、その道を究めたスペシャリストの職人は存在します。
唯一無二の伝統工芸品を作る人間国宝なんていったら、やっぱりカッコいいですよね。。。
もちろん私たちのような町工場にだって、尖った能力を持っている人はいると思います。
「この仕事をさせたら、その人の右に出る人はいない」
「この技術だけは誰も真似できない」
それはそれで大事なことに変わりありません。
ただ私たちの様な製造業においては、そんな人たちがその技量を発揮する機会が、どんどん減っている気がします。
それでいいのかな・・・と思うところもありますし、止むを得ないな・・・と納得する部分もあります。
「求められるもの」が変わってきてしまっているんですよね。。。
コモディティ化

私たちの様な、メーカーからの依頼で部品を製作する下請業では、製品のコモディティ化が顕著です。
これは作る対象物が汎用化していっているので、技術による差別化が出来なくなってきているという意味。
だってその会社、その機械、その職人でしか作れない部品なんて、買い手(メーカー)にとってはリスクでしかありませんからね・・・
安定供給に対するリスクマネジメントの一環であるのと同時に、価格決定のイニシアチブを製作業者に握らせない為でもあります。
メーカーとしては、どこでも誰でも同じクオリティの物が作れるように、部品を設計するものなんです。
そりゃあそうですよね・・・
例えば最近時々耳にする「事業承継問題」。
後継者不在で廃業する製造業者は後を絶ちません。
そんな中で、もし「その会社でしかできない部品」なんかあったら、買い手の方は困っちゃうじゃないですか。
或いは部品の単価についても、「その会社でしかできない部品」については、他で作る事が出来ない以上、売り手の言い値で買わなければなりません。
調達担当者にとっては「1円でも安く買う」使命があるにも関わらず・・・
だからメーカーにとって、このコモディティ化というのは必要となる訳です。
一方の作り手側で、そういった求めに応じて進んできたのが、モノづくりのスキルレス化。
作業者の技量に依存しない、モノづくりの省熟練化です。
もちろんこれにも良い部分があります。
例えば人手不足。
人を一人、一流の職人に育てるには、それなりの時間が(費用も)掛かります。
しかしスキルレスなモノづくりの現場では、練度の低い作業者でも、比較的早期にある程度作れる様になってしまうんですよね。。。
会社にとっても属人的なモノづくりから解放され、いつ誰が作業しても、同じ時間で同じ質の物が出来るというのは、ある意味メリットでもあります。
ちょっと寂しい気もしますが。。。
そしてこの流れを更に加速させたのが、ICTなどによるモノづくりのデジタル化です。
いや、便利にはなっているので良いことなんですよ。
ミスだって起こり難くなります。
でもやっぱり「弊害」もあるんですよね。。。
普段からバーコードでデータを呼び出して、スタートボタンを押せばある程度の物が出来てしまう。
そうすると、本来作業者自身が身に付けておくべき知識や技能さえ、身に付ける機会を失ってしまうんです。
実際にいるんじゃないですか?
四角い板にいくつか孔が開くだけの製品でも、Gコードが分からないが為に手打ちでプログラムが作れず、CADデータを作って貰わないと機械を動かすことのできない人。
ただのL形に曲げるだけの部品でも、展開一つ出来ないが為に、いちいちCADを使って展開して作って貰わないと部品が作れない人。
本来ならば三面図を読んで組み立てなければならないのに、つい3Dのモデルに頼って組み立ててしまっている人。
それでもある程度の仕事は出来てしまう。
だけどそれでは技術や知識の「奥行き」が無いので、応用が効かなくなってしまうんです。
そしてそれしか知らない(出来ない)ので、問題を問題と思わず、改善していくことも出来なくなってしまいます。。。
ジェネラリスト

何か一つの技術や知識に特化したスペシャリスト。
そんな職人の活躍の機会が減少してきた原因の一つは、製品のコモディティ化であることは前述の通りです。
そしてICTなどのデジタル化が後押しして進む、製造現場のスキルレス化。
これにより作業スタッフの技術的習熟度や練度が低下してしまう・・・
問題でもありますが、求められるものが変わってきている以上は止むを得ない部分もあります。
ではそんな時代に働く人たちは、それでも「スペシャリスト」を目指すべきなのか・・・
これについては、会社ごと、或いはその個人個人の考えにもよりますが、私個人的にはその答えは「NO」です。
いや、そこを目指すことの全てを否定しているわけではありませんよ。
会社組織の中には「スペシャリスト」の存在は欠かせませんし、実務者として業務に当たる人はその方が良いと思います。
ただ私が思うのは、最終的に目指すべきは「スペシャリスト」ではなく「ジェネラリスト」であるという意味です。
ここで言うジェネラリストとは、幅広い知識や経験、技術を備え、多面的な知見と視野を持った人のことです。
特に管理職やプレイングマネージャー的な中間管理職の人たちは、尚更「ジェネラリスト」で在るべきだと思います。
製造業でよく言うところの「多能工」的なイメージですかね。
こういった人の方が、物事の変化にも柔軟に対応できると共に、それぞれの局面で固定観念に囚われずに臨機応変に判断できると思うんです。
そこを目指す人は、実務における専門性を追求する必要は無いんです。
それぞれの業務の極致を目指すのではなく、「モノづくり」全体に対する広い知識や経験、技術が求められます。
以前タクトタイムについて少し書きましたが、そのタクトを振る「指揮者」が正にそうですよね。
指揮者自身は、それぞれの楽器の演奏が超一流である必要はないんです。
その代わり包括的な音楽の知識や、楽曲ごとに演奏者から最適な演奏を引き出して表現力を高めていく技術が必要になります。
製造業でのジェネラリストもそんな感じ。
それぞれの作業が超一流でなくても良いんです。
モノづくりというと、どうしても「スペシャリスト」の印象を持たれがちです。
でもその専門性を活かし難い環境になってしまっているのが現実。
よっぽど飛び抜けたものがあれば別ですが、一方で「それしかできない」というのはやはり問題ですよね。。。
モノづくりのプロフェッショナル。
幅広い技術や知識、経験を持った板金の「ジェネラリスト」。
そんな人材がいる現場って、すごく強い現場ですよね。
そういう人が一人でも多く育つよう、これからも製造スタッフの「多能工化」を強く進めていきたいと思います。