
早いもので、もう今週でオリンピックが終わってしまいます。
基本、スポーツは観るのもやるのも大好きな私ですので、やっぱりこの話題に触れないわけにはいきません。。。
コロナ禍、無観客、1年延期の末のオリンピック・・・
異例尽くめの中での自国開催でしたが、選手の方々を始め、運営スタッフや大会関係者の皆さん、本当にお疲れ様でした。
まだこの後にパラリンピックも控えていますので、引き続き頑張ってください!!
いろいろと言う人はいますが、私は「今やれることはやった」のであろうと思いますし、逆に今回は特に「日本でなければできなかった」というオリンピックだったと感じています。
直前までの”ゴタゴタ”は正直どうかと思いましたが、私は世の中が「開催の是非」みたいな風潮になった時でも「いや、やるべきだろう(再延期が不可能なら)」という考えでした。
逆に「左寄り」に偏ったマスコミを始めとした、人の(日本の)足を引っ張る連中に対してある種の「気持ち悪さ」さえ感じていたくらいです。
オリンピックとは
「オリンピック」って、何の為にやるの!?
今回のオリンピック程、そんなことを考えさせられた大会は無かったんじゃないかと思います。
紀元前に始まった古代オリンピックは、ゼウス神に捧げる祭典競技だったそうです。
その後ギリシャを支配したローマ帝国がキリスト教を国教と定められたことから、オリンピア信仰を維持できなくなり、1000年以上続いた古代オリンピックは幕を閉じることになります。
今のオリンピック(近代オリンピック)が始まったのは、それからおよそ1500年後の1896年。
フランスの貴族により提唱されたもので、「スポーツを通じて世界平和の実現に寄与する」ことが目的に掲げられています。
だから勝敗だけでなく、ルールを遵守して正々堂々と全力を尽くすという「フェアプレーの精神」がオリンピックでは重視されるのです。
オリンピズム
近代オリンピックの理念であり、哲学的原理でもある「オリンピズム」というものがあります。
ここでは「人間における肉体と精神の調和」を理想とし、スポーツが人間精神を高めるものであると考えます。
そして理想的な人間精神の実現の為、「競技」としてのスポーツだけではなく、文化や芸術をも通じた「人間復興」によってその理想を実現するという思想です。
私は知りませんでしたが、過去には実際に「芸術競技」というものもあったそうですね。。
事実、オリンピック憲章にも
- オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化や教育と融合させるオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などに基づいた生き方の創造である。
- オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
とあります。
近年ではそんなオリンピックも商業化が進んでいたり、政治的思想が持ち込まれてしまったりしていますが、本来その根幹にあるのは「オリンピズム」であるべきだということです。
特別?
そんな理念に賛同した、多くの国や地域が参加して開催されるオリンピック。
その開催自体を否定する人もいました。
「このコロナ禍の最中、そんなことやっている場合か!人命を最優先すべきだ!!」
「みんなが自粛しているのに!!」という言い分が大半でしたね。
誰か人命を軽視するような言動をした人がいるんでしょうか?
私が知らないだけかもしれませんが・・
では逆に、オリンピックを中止することでコロナの感染拡大を無くせるという、定量的検証結果や科学的根拠はあるんですかね・・
オリンピックの開催とコロナ感染の再拡大がなぜイコールで結びつくのか、私には理解できませんでした。
再延期できるのなら、それも選択肢の一つだとは思いましたが。。。
「できない」「やらない」理由を並べ立て、「どうしたらできるのか」を考えられない人は仕事の場面でもよくいます。
そこで思考停止してしまうんですね。
それは「やろうとしなかった」「やりたくなかった」言い訳に過ぎません。
ましてや今回対峙するのは未知のウイルス。
答えの無いことに懸命に立ち向かっている人たちを非難するだけの方が、余程「無責任」に私の目には映りました。
「やるため」にきちんと協議し、徹底的に検討を重ね、あらゆるリスクを最小化する手立てを打とうとする方が、責任ある行動だと思います。
全く「非難すること」が目的化した野党を見ているみたいです。
これって、国を挙げて一致協力して克服していくべきものじゃないんですかね・・・
「自分たちばかり”我慢”を押し付けられて・・」なんてのも、難癖に近いものに感じます。
確かに営業自粛を強いられている方々なんかは大変だと思います。
でもそれは自身の利益と幸福を追及する目的の為に行う、その人の「ビジネス」ですよね。
(極論を言っていますが「手段」と「目的」を混同しなければそのはずです)
学生スポーツの大会が開催されずに涙している生徒の姿を引用した、開催反対報道なんかもありました。
もちろんそんな子供達を救うために、私たち大人がやるべきことはもっとあったとは思います。
「プロスポーツはやってるのに、なんで!?」って私も思っていましたから・・・
でも学生スポーツの目的は、本来「教育」の延長線上にあるはずのものですよね。
だからやはり、それらとオリンピックを「同列」に扱うことには違和感を感じます。
残念ながらオリンピックが商業化してしまっているのも事実ですが、その根底にある「理念」や「目的」が大きくそれらと異なることもまた事実。
だから国家プロジェクトとして誘致活動を展開し、巨額の国費を投じてまで行おうとしたんです。
「経済効果」云々という話も混ぜてしまうから、論点がどんどんズレてしまうんじゃないですかね。
最初っから「オリンピックは特別なんですっ!」って言い切ってしまえば良かったんじゃないかとさえ思います。
「説明責任」という部分では、政府や運営側も大きく欠落していた感はありますが・・・
アマチュアの祭典
選手の側からもいろんな意見が出ていましたね。
でも私の知る限り、今回のオリンピック開催に反対の声を上げていたのは、「プロスポーツ」の選手が多かったと思います。
発信力があるからか、そういった声は大々的に報じられていましたよね。
そりゃあプロスポーツ選手にとっては、オリンピックはあっても無くても良かったかもしれません。
もっと大きな世界大会があったり、毎シーズン巨額の報酬を得ながら競技をしているわけですから。。。
でも、そもそもオリンピックはアマチュアスポーツの祭典であったはずですし、更に言えばプロ選手の参加が増えてからオリンピックの商業化が加速したようにも思います。
だからか、大きな大会やプロリーグが無い競技の選手たちが、開催反対の声を上げていたのを私は聞きませんでした。
だって彼(彼女)等にとっては、その大会の為にそれまで色々なものを犠牲にし、命がけでやってきたわけですからね。
その競技を極めるというのは、恐らく並々ならぬ努力があったはずで、それは恐らく私の想像をはるかに上回るものなんだと思います。
だからこそ私は、開催するための努力を最大限尽くした上で、開催すべきだと思っていました。
「リスクをとって」ということではなく、「リスクを最小化するための施策を最大限に行った上で」です。
無観客でも良いです(残念ではありますが)。
「やらない」という選択は、「やるべきことを全てやった」上で「どうにもならなかった」場合の話ではないでしょうか。
開催に否定的発言を行っていたプロスポーツ選手たちは、あの競技後の池江選手(水泳)のインタビューを見て、どんな感情を抱くんでしょうかね・・・
折り鶴
実は私の姉は、今東京オリンピックの選手村に居ます。
あぁもちろん選手としてではなく、仕事で行っているんですけどね。。。
昨日、その姉から連絡がありました。
姉は、選手村から会場に向かう選手に「がんばって!!」と言って折り鶴を渡していたとのこと。
そしてその日、折り鶴を渡した選手が金メダルを取って帰ってきてくれたそうです。
(名前とか競技名は聞きませんでしたが、ドイツの女性選手だそうです)
そしてその選手は「ありがとう」と言って、姉に金メダルを持たせてくれたとか。
(念のため確認したところ、メダルは噛んでいないそうで安心しました・・・)
更にその選手は、「記念に・・」と選手しか貰えないピンバッジまでくれたそうです。
結局のところ、そういうことで良いんじゃないですかね・・・
国境も越えたこういう小さなエピソードこそ、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」というオリンピックの精神そのものなんだと思います。
まだいくつか競技も残っています。
帰ってから、またテレビにかじりついて応援したいと思います。
それにしても、散々開催反対を煽っておいて、あっさり手の平を反すマスメディアってどうにかならないもんですかね。。
ホントに気持ち悪いです。。。